Contents
トップページ
特集 
道内イベント 
メディカルガイド 
ナイト&パル 
オレンジキッチン 
北の商店街さんぽ 
北海道開拓Today 
初・体験隊 
観さんのタロット占い 
Podcasting 
今月のプレゼント 
スタッフブログ 
Mailmagazine
Pick Up!
Subscribe
Weather
新着情報はRSSでもご購読いただけます。詳しくは『新着情報について』をご覧下さい。
地域に密着した電話帳『そうごうページ』の電話番号や、さらに詳しい情報をお調べいただけます。
電話番号検索の他にも、街の情報、生活に役立つ情報をお届けしています。












私は東洋易学、口伝えなどを参考にして病気になる前に予防します。蓑内宗一著『東洋医学の健康法』(絶版)を参考にしています。その中から長老の代々の口伝書からの病気の前兆を抜粋し記します。
このような状態が2〜3あるときは発病前の予知です。内科で漢方の詳しい医師と出会うことで救いになります。
易学では不快症状を中・傷・感の3つに分けます。口伝ではいろんな薬草での治療方法があります。ごく簡単で日常生活に役立つのは、やはり食に関する治療法です。
これらはあくまでも日常生活で根気よく採り続け医師の指導を受けながら生活していくことが大切です。また、その他の例もいくつかあげます。
簡単予防法
※これらの実験台は私の家の子供や主人です。あくまでも予防として参考までに!
そんなわけでわが家では特に私は病の前に予防をしつつ、水、食物に注意をし、過労をせず、心配の前にとにかく眠って次の日考える訓練をしつつ乗り切っています。
次回は少し簡単な予防をつたえます。
水子霊とはこの世に生まれる事の出来なかった胎児の霊体を言います。水子霊が災いになる事は決してありません。現在生きている事が修羅の場であり、苦しみや悲しみを少しでも逃れたいと思う時、どうしても人は水子霊の災いと考えたり、先祖が迷っていると思い込んでしまいます。
水子の霊体カナちゃんを心の中に溜めた女性がいました。彼女はいつも陰膳を作りカナちゃんと対話をしながら、夫と3人の子供と普通に生活していました。しかし、必ず半年に1回、彼女はカナちゃんとなって幼児言葉を発し、心の中にある全てのうっぷんを吐き出して半狂乱状態になるのです。
カナちゃんを通して、夫婦間の葛藤や不平不満があふれるように口から出てきます。良き妻、良き母であるための抑圧でパンク寸前になると、カナちゃんが出てくるようです。医学的にきちんと病名判断も出来るのでしょうが、日常生活には全く問題がなく、本人が水子になりきっている以上、そう簡単に心を開くものではないと思います。治すのは簡単な事でした。カナちゃんの話をよく聞き、夫が優しい心で見守ってあげること。また、カナちゃんの供養は弘法大師(自分の家の宗教)を通して手を合わせ、陰膳をやめることで落ち着いてきました。
人は心の中に善と悪を抱えています。なんとか自分をなだめたり、癒したりしながら日々生活していることと思います。体力を過信して仕事を続けてしまったり…。過労と心労が重なると精神的に病んでしまいます。そんな時はあせらずにゆっくりと身近なことに喜びを見出していくと光が見えます。
大切な人を失うくらい切ない事はありません。どんな時でも一歩踏みとどまり、家族と努力し支えあって生きて行けば、必ず実ることがあります。
不況が続き、争いごとが多い時代のせいでしょうか、自分の苦しみは霊の仕業だと信じ、供養の名目でお金を取られて、金銭的なトラブルに巻き込まれる人が増えています。しかし、霊が人間に仇をなすことは決してないのです。
人の心は、物体として手に取ることは出来なくても、実在すると考えられています。心が現実に存在するとして、肉体が消滅した後に残った心を心霊(タマシイ)と呼びます。存在を科学的に証明することは出来ませんが、写真に写ったり、夢枕に立ったりすることがあります。でも、金縛りやラップ音などを含めた心霊現象は、霊体が自分の存在に気づいてほしいのと同時に、私達生きている人間に自省を促した結果です。怖がる必要はないし、個人の悩みごとには関係ありません。
恐怖にとらわれると、自己暗示にかかり幻影や幻聴を感じやすくなります。霊がいるのは人間がいるのと同じで、当たり前の事なのだと考え、心にゆとりを持って暮らしましょう。
私の役目は自分自身のために霊がつたえる言葉を聞き、現世への執着を断ち切って霊魂を鎮めること。大切なのは、本当にごく普通に日々の生活の中で手を合わせ、水を供え、経文を唱えることの積み重ねであって、供養にお金をたくさん出すことではないのです。
人形(にんぎょう)はシャーマン的には人形に罪、汚れを背負わせ災厄をさける呪術に使われます。人形に自分の病、災いを背負わせ、なでながら汚れ、汚れを移し水に流すまたは焼却をして厄よけをする術は古代からつたえ続けられた呪術です。
神事では紙で人形を作り厄を除く方法があります。仏事では法華経の肝文(かんもん)や呪術的図形を書き付けた紙で病人の病・邪気・馮依された霊をふきとる方法などもあります。これらは人形(ひとがた)をなでることで邪気を移す魔除けの呪術です。(なでものといいます。)
また、ひな祭りのおひな様も最初は人形(ひとがた)で身体をなでて川や海に流しました。はらい、病、災い退けの儀式でした。(参考資料:呪術が動かした日本史)
流しびな・陰陽道の易学から、3月は陰陽道では辰の月です。辰は水の神です。古代から人形に汚れを移す習慣がありました。平安時代後期あたりまでは汚れ落しの人形(ひとがた)を町外れにうめ、厄よけをしていましたが平安時代後期あたりから3月辰の月に川の水に邪気を清めてもらうようになりました。(参考:闇の力)
3月3日は私にとって病い厄のぞきと考え今年も無事にと念じつつおひな様を飾ります。おひな様はやはり不思議なことが沢山あります。髪は伸びます。お顔も飾り付けるまでは古ぶるしい姿かたちですが、きちんと飾ってあげると笑顔のお顔になります。第一回のおひな祭りは病を防ぎ邪気を払ってくれることを信じ、飾ってあげてください。しまい込まずに飾ってあげることで災いを取り除く役目があります。
私の場合知らず知らずにいろいろな古代からの呪術の方法(易学・陰陽道・風水・手相・タロット・人相など)を学ぶ機会を得ていろんな方法での相談事の参考になりました。古代の人が言葉には言霊が宿ると考えた言霊占いは巫女の言葉の発する母音にそれぞれの意味があり、そこから悩みを解きほぐします。命名は言霊で付けてあげるのですが、この言霊と五行易・姓名判断の字画で出てくる良し悪しがぴったりと一致します。辻占・橋占、色んな方法がありますが、すべて神の意志、神仏の定めが基本です。だんだんと経典、のりと等を通し神仏との交流が出来るようになりました。
そうすると、古代から受け継がれていた色んな払いの方法、邪気除き、交霊などが自然に突き動かされ、少しずつ色んな易学の方法、人相学などをつたえていきたいと思っています。
私の父は霊能者 瀬川モトの12番目の子としてこの世に生を受けました。父は軍人として樺太に渡りそこで豊原で旅館の女将をしていた母フミオと出会い、その地で私は産まれました。
終戦後、両親は凄まじい苦労をしつつ樺太を引き上げ、祖父母のまつ札幌の自宅に同居をすることになりました。本来、父はモトの後継者となるべき人でした。しかし、全く別の困難な道を歩みます。若い頃は非常に体が弱く16〜17歳の頃、30日間毎朝、神社へ修行に通ったとの事です。一切神社の名はあかしませんでしたが、そこの守護神に救われたとのことです。82歳で命を落とす時すら一言も過去を話さない人でした。
父を救った神が意味がどこの神社なのかずっとずっと謎でしたが、ようやく心にうかび、教えてくれました。三吉神社に修行に行ったのだと解りました。私が60歳になり、神のお告げで知らされました。父の守護神は三吉神社の御神体であり、心の中にどんと神々が不動のかたちでしっかりと根付いていたと思います。
この父は一生家に神棚をおかず、神棚、仏壇に手を合わす姿も見ることもなく、私の若い頃は真無神論の人と思いましたが、今はよくわかります。それは父はかたちのある物を信じることを超越していた人でした。
全く無欲で余計なことは一言も話さないお坊さんのような(現世の欲に無縁の)人でした。
母は苦労をしつつも必死に働き、現実に立ち向かっていたと思います。 樺太から引き上げてきた後、私が5歳、妹が4歳の時に祖母が亡くなり、祖母のお祀りしていた神仏はすべてお返しをし、弘法大師、不動明王、観音様、この三体だけわが家に残りお守りすることになりました。
祖母は神仏混合の信仰を持ち山岳信仰の行者でもありました。大変な霊能力のある人でしたが、後を継ぐ人もいないまま、山の神、不動明王、弘法大師様、そして、観音様が人を救うために動き出すのに20年近い年月がかかりました。
私、観(かん)と妹の神(じん)が受け継ぐことなどは夢にも思いませんでした。
父の霊力を見せつけられたのは父が45歳の頃でした。樺太から引き上げ、祖父母の小金でお金を貸していた時がありました。無欲な父がお金を貸すのですからそれは見事にだまされ借用書のみが残るだけでした。運送業を経営していた方がボロなトラックを父に預け夜逃げをしました。残されたトラック一台で慣れぬ運送業をはじめた一年後、赤平の橋のたもとからトラックごと転落して大怪我をしました。赤平病院に入院し、三日後にいきなり気合いがかかり患部をなでさすり、一週間で札幌に帰ってきました。
やはり、祖母モトの時と同じく、起き上がり骨折した部分の患部に手当をし30分位もみさすり、その後は汗びっしょりになりぐっすり眠ったとのことです。母は樺太から引き上げた後、祖母の神ずとめを助け、日常の家事をしていましたので、父の姿を見てもあまり驚かず、「ああ、不動さまが来ている。亡くなったおばあちゃんが守ってくれる。」と心から手を合わせたとのことです。
4人の子を食べさせていかなければならない終戦後引き上げ者の父母にとってこの救いの手はどれだけありがたかったことかと今ならよくわかる歳になりました。
心の傷・・・
神のつかいとしての神仏霊的現象の相談事以外に、心の悩み・人生の相談を長いこと仕事として携わってきました。テレビを通しての15年間で無料相談を何万件も受け、相談者の悩みを互いに分かち合い随分学ばせてもらいました。
悩みの原点には必ず家族のひずみがあります。家族の抱える心のゆがみが色々な苦しみを産み出しています。一見、本人には問題のないように思える事はたくさんありますが、家族の中の心の闇が一番敏感な人に心の傷として残り、闇の中に入って行きます。それが家庭内暴力となったりアルコール依存症であったり、拒食・浪費など色々なかたちでゆがんだ姿となり表面に出てきます。
私のように30年近く相談者と関わってきますと色々な事を目の前で見せつけられます。生きている限り、悩み苦しみはつきないものだと思います。神も仏も目先の欲は聞いてくれませんが、心を癒す事はできます。又、救いの手を差し伸べてくれます。
日々泣いたり・笑ったり・怒ったりしながらも諦めずにやるべき事はやる。つまり与えられた事を愚痴らずに淡々とこなし、生きることによって必ず長い月日の苦しみ・悩みからは救われます。子供は生き物です。思い通りにはいきません。子供が心も体もパンクしてしまうと表面に色々なかたちでゆがみが出てきます。「焦らない事」目の前のことにとらわれずに“普通に、普通に”日常生活を続けて行く事が大切です。泣きながらでも「とにかく良くなる、良くなる」と信じて自分を優しい心にすることです。
その時に必ず守護してくれる守護仏はいます。(自分にご縁があり、守護してくれる光は必ずいます)自分が幸せな心・豊かな心にならないと家族の問題は解決しません。優しい心と厳しい心を持ち続け、悪い事に対しては毅然と対処して色々な人の知恵を借り一つ一つ乗り越えていくと必ず救いの手は差し伸べられます。
子供の良いところは良いところ、悪いところは悪いところと判断する冷静な目を養う事です。苦しみを抱えているのですから自分が命懸けで「壁」になり、守る心があれば必ず光は見えます。
子供は学校に行けない。親は学校に行かせたいを繰り返す前に家で癒してあげる事が大切です。日常生活にリズムをつけさせることです。汚い生活、ゴミだらけの生活にさせないこと。喧嘩しつつもキレイな生活をさせることです。汚い部屋は邪気が入り、益々悪くなります。
そこで喧嘩になれば受け止める。心と心が爆発して、初めて子供は親の本音がわかります。
夫婦は笑いがでるように仲良くする事。夫婦の仲が悪い人が多い中、まずは与えることを愚痴らないことです。神仏を素直に信じ、感謝する。(とにかく良くなる、良くなると思う心)心の中で苦しい時は神仏に悪態をついても構いません。大切な事は子供が暗くなったり、何らかのサインを送られた時に人に任せず自分がしっかり受け止めることです。
この子の“ひずみ“は自分の”ひずみ“と考え、黙って家の中を明るく楽しくすることです。掃除・洗濯・料理と体を使う楽しさを仕込むことから出発です。子供の悩み・ゆがみを見るのは本当に切ないものです。
友人・兄弟・姉妹などの心の合う人と一日でも楽しい心で時間を過ごし、エネルギーを蓄えるのです。子供はたくさんの宝を持っています。15歳でこじれても10年経って25歳・・・この10年に必死に愛情をかけ生きる“知恵“楽しさを親子で築いていければ、この子の心の闇は10年後には素晴らしい宝として光ってきます。子供に苦しんでいる人はたくさんいます。まずは笑って力を蓄え、支えてあげてください。必ず救いの手は差し伸べられます。
神仏が自分の胎内に入りその時点で自分は無となります。空気のような状態です。姿は自分であっても自分の肉体に仏が宿りまわりの状態は白い光に包まれる感じです。
わずか何十秒ではないのかと思いますが、この時点で神仏と交流する事が出来ます。また、亡くなった方との交霊もできます。
しかし、第三者の目で私を見ると顔つきも別人、体も座ったまま宙にうく状態になります。これは宇宙の気を体にエネルギー源としていれる事です。
若い頃は体が弱くこの状態で病んだ患部に手が吸い付き10日間同じ時刻に患部を癒し治した事もあります。
今までに三回ほど我が身に来た事があります。
一回目は20才のとき、弱い体を治すとき。二回目は長女の出産のとき、これは早産で流産をとめ、ぎりぎりの状態で産む処置をしましたが、陣痛がこず、この時点で気合いがかかってきました。三回目は25才の大病の時です。入院先のベッドから一定時間気合いがかかり2週間で退院となりますが、やはり宙に浮いていたようです。
いろいろ不思議な事は多々ありますが、信じる以前に目の前で起きてしまいます。
この霊的力と結婚生活とは全く別な事で、やはり普通に普通の人以上にまわりに心をくだき、心配しあちこちぶつかり、つまづきながら地道に日々を築いていく事が一番で、人の心も人の悩みも少しは解ってくるものです。
神仏が私に授けた能力はやはりひたすら心の欲を取る事以外はないと思います。つまりどんな苦しい事、つらい事があっても”まだこれでも神仏”を信じていられるのかという教えです。
それはまた私に助けを求めてくる人達にもどんなに苦しいこと耐えられない事であっても必ず時が解決し、必ず道がひらかれると互いに信じ、念じる事ではないのかと思います。
人は心の持ち方でどうにでもなります。
今、どんなに切なくても必死に生きていれば必ず神仏は見守ってくれます。見えない世界であなたの心に”徳の花”を一つ一つ積み重ねてくれます。 その花はきっと、必ず、満開の花として咲いてくれると思います。
40代から50代前半までご縁がありテレビを介して数多くの相談者と無料相談を妹 神 円水と二人で受け持ち、10年間で数千人の人達と関わってきました。
60代になり少しわかってきた事があります。平凡に生きる事の大変さというか…、無事に暮らすということの切なさです。
霊的能力はどんどん高まっていますが、老いた母をみる子の立場、子をみる親の立場としては、この霊的能力はあまり役にはたちません。
家族の未来が予知出来たとしても、家族・身内であればあるほど聞く耳を持ちません。またそれが、人の心なのです。子供も夫も私も痛い思いつらい思いをずいぶんくぐり抜けてきた事と思います。私はだまって見守るしか出来ません。最悪の状態は前もってわかっているのが私にとっては救いです。
私も出来の悪い母ですから、あまりつらさに耐えられない時は心底神仏に仕える事をやめようと決心した事も多々あります。そんな時に、救いの手がスッと差し伸べられ道がひらかれます。救いの手とは人の縁です。必ず支え救ってくれる縁が結ばれます。
霊的能力がすぐれ、巫女的役割が出来る事と目の前の親や子や夫の幸せとは全く相いれない面もあります。巫女は我執をすてなければいけません。
“心の浄化”にたどりつくのが霊能者の役目であり、母・妻の心は子の幸せ・夫の幸せであり、これはやはり我欲に繋がっていきます。(我が子がかわいい!身内が大切と思う心!)
やはり、”我欲”執着であっても子や孫や自分のまわりのほんの一握り血縁が日々無事に人並みに笑いのある生活を築いてくれる事をひたすら念じています。普通に暮らす事は本当に大変な事だと思います。病なく事故もなく日々食べていける幸せです。
私はシャーマンとして何十年と相談事にたずさわり、幻聴・幻覚に悩まされ心身ともにボロボロになっている数多くの人にお会いしてきました。独語、奇怪な発言、暴力、暴言、妄想、ギャンブル狂い、馮依現象など、相談者の方々にはありとあらゆる心の悩みがあります。
合理性をよしとする現代社会は呪術信仰・カミダーリ(神がかり)は インチキ!!非合理としりぞけられ、逆にしりぞけられるゆえに誤った呪術信仰・霊的判断をする人達も沢山でてきています。
馮依現象とされる相談者もいます。いわゆる狐憑き(きつねつき)といわれるのは、本人の姿、言動がおきつねさんになり、食べ物もあずき飯、油揚げなどを食し、目つきも手つきも変わってきます。言葉は○○稲荷と発します!!
神々の姿になる人もいれば、先祖霊など、様々な姿で現れます。冷静な目でしっかりと霊体が相談者の姿を借りて何を訴えたいのかを不動の真言を唱えつつ聞き、相談者から悩みを吐き出すことにつとめます。
本来の自分では云えない心の闇の部分を何者かが馮依し、訴えるのです。
乱れ、泣きわめき、雄叫びを上げる。神の姿になる。
カミダーリ(神がかり)の私は心の中にでてくるいろんな想い、いろんな苦しさをしっかり受けとめ理解し心の交通整理をするのです。相談者は心と体がボロボロになっています。切なさがドクドクと私の心に伝わってきます。10分もすると冷静になり、狂気は収まってきます。ここからが一番大切なことで吐き出した現実の悩みを身内がどう受け止め、どう支えていくのか…。それはまず、愛情だと思います。
そして、自分のご縁のある神仏を信じて手をあわす心を持つのです。
現実の悩みを解決する手だてがわかると必ず良くなります。また、落ち着くと病院との関わりをもつことも納得します。狂気はどの人も心の中の深いところに秘めている闇の部分です。
私のようなカミダーリはかつてどこにでもいて”お助けバアサン”としてかけこみ寺の役目をしていました。
今はこの非合理性はインチキと紙一重にくくられ、社会から排除されています。冷静な第三者の目をもって相談者の闇の部分を救うことが救いにつながります。死者に対する供養は自分の心を見据えることです。でも、人は誰しも病み苦しみボロボロになることが必ずあります。そんな時にだまって支えてあげる、だまって抱きしめてあげる精霊信仰のバアサンがいても良いのではないのかと思いつつ、今日もまた、こちらもボロボロになりつつ走り続けています。
前回お伝えしましたように、霊能者であった祖母モトの力は、幼い頃から私に受け継がれ人の心を読み取れる予知能力の強い勘の鋭い少女となりました。とにかく不安感、孤独感が強く自分をどうしてよいかわかりませんでした。人の心、人の未来を予知することの異常さをずっと隠し通して生きてきました。
21歳で主人と出会い、結婚をしました。私達は21歳と25歳の学生結婚でした。札幌市北区の新琴似の農家の古いボロ屋に住み主人は学習塾を営み生計を立てていました。真向かいに観音寺という寺があり、境内に66体の石仏が奉られていました。私は当時、仏教の事は全く無知で、その寺に行くことが何か怖くて一度もお参りをしたことがありませんでした。
ある時、塾の机と椅子(解体したときの処分品)が手稲富岡の観音院にあることを知人のつてで知らされ、夫婦で頂きに行きました。机と椅子はありませんでしたが、手稲富岡観音院の境内には自宅の真向かいにある、あの観音寺と同じ仏様が奉られていました。手稲富岡の観音様と呼ばれている霊能者の方にお聞きしますと、石仏さまは33体の観音像と不動明王とのことでした。その時、私の心に大きな衝撃が走りました。自宅前の観音寺の境内の66体の石仏とお不動様に魅せられている自分がいました。
とにかく明日からお水をあげよう!!お参りに行かなければ!!と思い、次の日から毎日!!毎日!!お水を供え手を合わすようになりました。このことが霊能者としてめざめる第一歩の道しるべでした。
新琴似観音寺の石仏さまに水を供え手を合わせて10日目のことでした。夢うつつの状態の中で可愛い可愛い切り髪の観音様が私の手を握り「ありがとう」とつたえ、スーッと消えて行きました。
21歳の頃の私は体重38キロのやせた病気がちの風が吹けば倒れそうな体調不調の病身でした。とくに扁桃腺と胃腸系が弱い体質でした。
観音様にお参りに行き始めた10日後の夜中の一時頃でした。自分の手が病んでいる部分にぴたっと吸い付き離れません!!自分の意志と無関係にどんどん患部をもみほぐし2時間も離れず、体が宙に浮いた状態になりました。一ヶ月続きました。主人は私が霊能力があるなどとは一切知らずに結婚しましたので、驚き、私の手を離そうと必死につかむのですが、びくともしません。時間が過ぎると収まり、また次の日の同じ時刻に始まります。(この現象を『気合(きあい)』といいます。)
ここから夫婦の葛藤が始まります。主人は全く神仏に縁のない理数系の大学院生。今でいえば『奥様は魔女』です。驚きと不安で大変でした。
<次回へ続きます>
※『気合』 仏と宇宙の気を体にエネルギー源としていれることです。体に神仏が宿り、自分が無となること、つまり真っ白な空です。第三者の目から見る気合いの状態は顔つきも別人、体も座ったまま宙に浮かぶ状態、又は寝たまま浮かぶ状態です。