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北海道に憧れ、北海道を愛し、しっかりとたくましく北海道に根を下ろしている人々のドキュメンタリー。
第一回は、江別市野幌にて奥様と息子さんと3人でノースライブコーヒーを経営する小笠原均さんです。 地域に根ざした珈琲豆屋を目指し、野幌から本当に美味しい珈琲豆を北海道中に届ける事が夢という小笠原さんの軌跡をたどります。
銀行でファイナンシャルプランナーとして働いていた小笠原さん。
取引先で珈琲を出されるのが苦痛だった。ある日訪れた珈琲豆卸問屋の老舗"とらや商店"で衝撃的な出会いをすることになる。
当たり前のようにテーブルにはコーヒーが出された。
・・・本格的ドリップコーヒーだった。
ー『芳醇な香り・コクの中の甘み・・』 本格的ドリップ珈琲との衝撃的な出逢い。 "人生最大の転機"(ノースライブコーヒー会社紹介より)
琥珀色の珈琲に魅せられ、珈琲に深く関わっていく人生へと・・・
そして、この出逢いが小笠原さんを北海道へと導く最初の一歩となった。
ある日、中学2年の双子の息子(智・崇)は両親に告げた。
「スキーを習いたいから日高の定時制高校に行くよ!」
思い返せば、学校の先生から「1週間も休ませたら内申書にひびきますよ。」と言われながらも、休ませてスキーに連れて行ったことがあった。
自立した人間になるよう自由奔放に育てて来たとはいえ、まだ中学生の息子達の決断は突然のことだった。
息子達が希望したのは、北海道でスキーの指導が受けられる日高町産業学習推進制度。 4年間の学校生活の間、寮生活をおくりながら、昼はスキー、夜は定時制で勉強するという普通の高校生とはかけ離れた環境。 また、千葉と日高という距離も両親を心配させた。
「親の考えだけを押し付けることはできない、いい経験になるだろう」と、この状況に父が息子達に出した条件はひとつ。
「二人のうち、どちらか一人でも不合格なら学校はあきらめなさい」
スキーブームだった当時の入学倍率は約3.5倍。
その条件だけをクリアできれば、息子達を快く送り出そうと心に決めた。
だが、そんな小笠原さん一家の決断を、学校側は「そんな事はとんでもない!」と反対した。
小笠原さんは 「先生方がこの子達の人生を保証してくれる訳じゃないでしょう?」と説得した。 理解を示してくれる先生は少なかったが、息子達は晴れてスキー学校に入学。 両親の愛情を一身に受けて育った二人は、親元を遠く離れ北の大地へと旅立って行ったのだった。
高校での最初の夏休みに千葉に帰省した智さんと崇さんは、
「もう千葉には帰んないかもしれない!北海道に住み着く!!」
と、再び両親を驚かせた。
まだ子供なのに・・・という気持ちもあったが、これは二人がくれたチャンスかもしれない・・・と思った。
小笠原さんには、若い頃から自分に合った土地で自分らしい仕事をしたいという考えがあった。
何度か試みようとしたが、何かが噛み合わず、実現しなかった。
岩手県で生まれた小笠原さんが千葉に移り住み、20年あまり。「雪が見たい」という気持ちも高まっていた。
ちょうど、少し前に"とらや商店"の社長が、東京都内に夫婦で経営する珈琲屋を開きたいと言うのを耳にしていた。
「北海道でも夫婦経営のお店を開けるかな?」
と社長に相談すると
「寒いところでは暖まるために珈琲を飲むから、大丈夫じゃない?」
と返って来た。
小笠原さんのベクトルが全て北海道を指し示した。
試しに札幌支店への転属願いを出してみると、ちょうど人員交代の時期だった。希望勤務地にすぐ配属されるなんて滅多にない事だったが、 計画してから一年も経たぬうちにトントン拍子で小笠原さん夫妻も北海道へ転勤することが決まった。
北海道で珈琲屋をやる!と決めるとすぐに珈琲と焙煎術について猛勉強をはじめた。
「何の所縁もない土地でうまくやっていけるだろうか?」
という不安はあったが実際に来てみると、北海道は湿気が少なく、豆を良い状態に保てる。
焼いている時も香りが立ちやすい。
「暑いところでとれた豆なのに、寒いところが良いんだな」
と不思議な感じがしたという。
そして・・・会社で45歳以上の早期退職制度が導入されることになった。
全ての歯車が噛み合った。北海道で珈琲屋経営をするために全て準備してきた。
何の迷いもなかった。
珈琲豆卸問屋"とらや商店"の関東での小売店舗は"ライブコーヒー"だったことから、 名前をいただいて"ノースライブコーヒー"として、札幌にギャラリーを兼ねた小笠原さんの珈琲豆屋がスタートすることになった。
"ギャラリーを兼ねた"といっても、札幌に知り合いの芸術家が居た訳でもなかった。
「どうやって作家さんを集めようか?」と考えたとき、真っ先に思いついたのは札幌のある展覧会で見て以来とても気に入った絵のことだった。
植田莫先生という道内在住の芸術家の作品だった。
「どうしても植田先生の絵をうちのギャラリーに飾りたい」
小笠原さんは植田先生の住所を調べると、突然押し掛けて懇願してみることにした。
事情を説明すると、突然の訪問にも関わらず植田先生は「わかりました」ほぼ即答でと応じてくれた。
先生もちょうど新しい事をやってみようと考えている時だった。
そして、新しい珈琲豆屋オープニングのギャラリースペースには植田先生の作品が並ぶ事となった。 オープニングに津軽三味線の演奏者も呼ぶ事が出来て、開店当初からギャラリーは大盛況。
植田先生をはじめ応援してくれる方々の協力を得て、小笠原さんのギャラリーは展覧会が途切れる事がなく、作品の搬出入に夜中までかかるほどだった。
こうして、お店の経営は順調に進んでいたが、小笠原さんにはずっと気になっている事があった。
「本業である珈琲豆屋としての役割をちゃんと果たしているだろうか?もっと店の在り方を見直さなければならない・・・」
様々な作家さん達と出逢い、応援してもらい、助けてもらいながら札幌でお店を作り上げて来た経験は、 小笠原さんの次へのステップとして大きく前進する原動力となっていた。
札幌で開店して1年半経った頃、江別に住居を構えていた小笠原さん一家は、自宅近くの野幌に店を移すことに決めた。
小笠原さんは自宅は江別と決めていた。圧倒されるほどの原生林の迫力が小笠原さんの心をつかんで放さなくなったのである。
「本当に美味しい珈琲をいかにご家庭や会社で飲んでもらえるかということが大事。
そのためには、豆が高くては意味がないし、街の焙煎屋ががんばるしかない。」
というポリシーを守り、野幌町で新たに開店してから6年。(一度、町内で駐車場スペースのない店舗から"石狩中央信用金庫"跡へ移転した。)
奥様と息子の智さんと共に、野幌にて北海道に美味しい本物の珈琲を広めるための礎を築き上げつつある。
(もう一人の息子・崇さんは、かつて小笠原さんの人生を変えるきっかけとなった珈琲豆の仕入元"とらや商店"で働いている)
お店で飲む珈琲の値段はテイスティグのためだからと1杯250円〜と驚くほど安い。
珈琲の入れ方でも大きく味が変わるので、美味しい入れ方をいつでも無料指導してくれる。
そして、珈琲もさることながら豊富な種類のチーズケーキがものすんごい絶品!
繊細なきめ細やかさが感じられるのに、自宅の庭で摘んだラズベリーをジャムにしてチーズケーキに入れてみたりどこか懐かしく優しい味わいです。
「お客さんがみんな友達になっちゃう」という小笠原さん。
香ばしい珈琲の香りと甘いチーズケーキとお菓子に誘われ、今日もお客さんがやって来る。
首都圏にはない北海道の大自然は、まず息子たちを惹き付け、家族全員を魅了した。
「スキーの勉強をしたかったという事もあるけど、北海道にずっと憧れていたんです」
という息子の智さん。
北海道でお店をはじめることになったいきさつを小笠原さんは
「珈琲豆屋の社長に出会った事、子供達が北海道に行った事、行きたいと思った時に会社が北海道に転勤させてくれた事、早期退職制度が導入された事。
今思えば本当に運良くタイミングが全部重なったんだなあと思う」
と振り返る。人生にはそんな節目があるのだろう。
少しずつ温めていた小笠原さん一家の夢を北海道の地が大きく育て、家族力を合わせて実現させた。 その軌跡は確かにこの北の地に根付いている。