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大通公園の歴史

明治初期(1870年代〜)

資料:札幌市資料館/1870年頃の大通付近

明治2年に判官の島義勇が大友堀(現在の創成川)と銭箱通(現在の南1条通り)の交点を中心に街づくりを考えた。 後任の岩村通俊が島の構想の一部を変更し、現在の大通の場所に幅105mの空閑地をつくり、北には官庁街を南には庶民の街を作った。

この頃の通りの名前は現在の西1丁目・西2丁目ではなく、千歳通りや室蘭通りと呼ばれていたのが大変興味深い。 当時は千歳通は千歳に通じていて室蘭通りは室蘭へ続いていた。

北海道、札幌、大通公園にとって明治3年から明治23年にかけての20年間はまさに激動の20年と言った感じがする。 海外から多くの外国人技師を招き開拓に貢献した。 また、日本国内からも多くの屯田兵が入植し開拓を進めた。 まさに北海道創世の時代といえるだろう。

明治2年(1869年)

開拓使が設置され、それまでの蝦夷地から北海道に改称された。 開拓判官に島義勇が任命され、札幌本府建設開始される。

明治3年(1870年)

移民118戸が苗穂・丘珠・円山・札幌新村に入植が始まった。 札幌から有珠間の「本願寺街道」の開削が始まる。

この年、後に開拓使長官となり北海道開拓の礎を築くことになる黒田清隆が開拓次官に任命される。 現在の大通公園10丁目に黒田の銅像が建っている。

創成川となる大友堀が現在の新川まで伸び、新川となった。 前年に開始された札幌本府建設が中断される。

明治4年(1871年)

開拓判官に後に初代北海道庁長官となる岩村通俊が着任する。 この頃、廃藩置県が施行され身分制度の廃止が行われた。 開拓使仮庁舎が竣工し、東久世長官が札幌に赴任。

ホーレス=ケプロンが開拓使教師頭取兼顧問として黒田に招かれ、アメリカでの職を辞して日本へ渡りました。 ホーレス=ケプロンの銅像は黒田と並んで現在の大通公園10丁目に建っている。

明治7年(1874年)

この年、新川が創成川へ改称

屯田兵制度が制定される。翌年の明治8年には琴似に198戸が最初の屯田兵として入植する。

明治9年(1876年)

現在の北海道大学にあたる札幌農学校が開校。 羊ヶ丘展望台にある銅像でもおなじみのクラーク博士がこの年教頭に赴任した。

明治5年に化学者アンチセルによって発見された札幌軟石を運搬するため、 石山通が整備される。

大通公園には草花が植えられ、人々の憩いの場として活かされ始める。

明治13年(1880年)

札幌区役所開庁。

前年に鉄道技師のクロフォードが招かれ、工事が進められていた手宮〜札幌間の鉄道が、 日本で3番目の鉄道として開通。

明治15年(1882年)

開拓使を廃止し、札幌・函館・根室の3県を設置される。 この年、日本銀行が開業する。

札幌〜幌内間の鉄道が開通。

明治19年(1886年)

4年前に設置された札幌・函館・根室の3県が廃止され、北海道庁が設置される。 学校令が施行され、義務教育が4年制になる。

創成川が茨戸まで開削される。

明治21年(1888年)

北海道庁赤レンガ庁舎が完成する。

市制および町村制が公布される。

明治後期(1890年代〜)

資料:札幌市資料館/1890年頃の大通付近

この頃の大通公園は単に大通と呼ばれ、公園としての役割はまだ小さかった。

それよりも、明治25年におこる札幌大火の際に延焼を防ぐ防火線として位置づけられたり、 西10丁目から西14丁目まで広がる陸軍省用地としての役割など、 比較的、防衛・防災的な街の機能としての役割の方が強かったようだ

明治23年から明治43年にかけての20年間には電灯が灯り、市内の電話交換が行われ、交通が発展するなど、 人々の生活が向上する反面、明治25年の札幌大火や明治27年の日清戦争など、 暗くつらい一面もあり、札幌の光と影の時代といえる。

明治24年(1891年)

札幌の110戸540灯に初めて電灯が灯った。

明治27年(1894年)

新渡戸稲造らが遠友夜学校設立。 札幌〜定山渓〜虻田間の道路が完成。

この年、日清戦争が勃発。

明治32年(1899年)

札幌・函館・小樽に北海道区制実施

明治33年(1900年)

札幌市内の電話交換が開始される。

明治36年(1903年)

札幌農学校が現在の北海道大学の場所に移転。

明治39年(1906年)

月寒に種牛場を設置。

鉄道国有法が発布される。

大正から昭和へ(1910年代〜)

資料:札幌市資料館/1910年頃の大通付近

この頃から公園整備が加えられ、人々の憩いの場として活用され始めた。 大正7年の北海道博覧会や札幌開府50年記念式などで、人々に親しまれ、札幌観光の要所としての役割を強くして行った。

図を見ると、現在の駅前通りにあたる西4丁目通りを市電が走っていたようだ。

昭和に入り15年戦争と呼ばれる長く苦しい時代には食料を調達するための畑として利用され人々を助けた。

明治43年(1910年)

円山公園が開園

明治44年(1911年)

大通に公園整備が加えられ、大通逍遥地が出来る。

大正元年(1912年)

馬車鉄道が札幌市内を走る。

大正2年(1913年)

札幌で初飛行公開。

翌年、第一次世界大戦が勃発。

大正7年(1918年)

開道50年記念北海道博覧会が開催される。 同時に札幌開府50年記念式が挙行され、大通逍遥地が札幌の名所として親しまれるようになる。

定山渓鉄道が開通。

助川貞二郎が電車事業を始め、札幌電気軌道(株)を設立。電車の運行が開始される。

富山で発生した米騒動が全国各地に拡大する。

大正10年(1921年)

円山、藻岩山原生林が天然記念物に指定される。

大正11年(1922年)

札幌の人口が12万人を超え、市制が施行される。

大正15年(1926年)

札幌〜東京間の電話が開通する。

札幌控訴院(後の札幌高等裁判所、現在の札幌市資料館)が完成する。

昭和2年(1927年)

札幌電気軌道(株)が市電となり運行を開始。 東京では上野から浅草間の地下鉄が開通。

昭和5年(1930年)

市営バス事業が開始される。

昭和6年(1931年)

大倉山シャンツェが完成。

満州事変勃発。15年戦争と呼ばれる長い戦時下に入る。

昭和12年(1937年)

東京〜札幌間の定期航空が運行開始。

日中戦争勃発。戦時下の食糧難を補うため、大通逍遥地に畑が作られ、いろいろな作物が植えられた。

昭和 戦中・戦後(1940年代〜)

資料:札幌市資料館/1940年頃の大通付近

長かった戦争が終わり、平和への道を歩み始める日本。 大通公園には進駐軍の運動場が作られ、広く一般の人達にも開放された。

再び人々の憩いの場として、集う場所として活用され始める大通公園。 昭和32年にはテレビ塔が完成し戦後の復旧・札幌の発展を象徴するかのようだ。

札幌雪祭りをはじめ、世界スピードスケート選手権大会や北海道博覧会、札幌ライラック祭り、北海道大博覧会など、 多くの行事の拠点として活用され、市民はもちろん、世界中から親しまれる公園となった。

昭和20年(1945年)

終戦。ポツダム宣言受諾。無条件降伏。

終戦により進駐軍司令部が設置される。

昭和25年(1950年)

第一回札幌雪祭りが大通公園で開催される。 この頃には大通公園として現在の形になっていた。

昭和26年(1951年)

円山動物園が開園

サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約が締結される。

昭和29年(1954年)

札幌で世界スピードスケート選手権大会が開催される。

陸海空自衛隊発足。

昭和32年(1957年)

札幌テレビ塔が完成する。

藻岩山観光道路開通。

この頃、大通公園でトウキビが売られ始めるが、衛生面での問題で中止される。

昭和32年(1957年)

札幌テレビ塔が完成する。

藻岩山観光道路開通。

この頃、大通公園でトウキビが売られ始めるが、衛生面での問題で中止される。

昭和33年(1958年)

大通公園で北海道博覧会開催が開催される。

モイワ山ロープウェーが営業を開始。

東京では東京タワーが完成。

昭和34年(1959年)

第一回札幌ライラック祭りが開催される。また、アメリカのポートランド市との姉妹都市提携が結ばれる。

昭和42年(1967年)

観光協会の運営で衛生面での問題をクリアーし、大通公園のトウキビ売りが再会される。

昭和43年(1968年)

札幌市創建100年記念行事が行われ、これを記念して北海道の開拓に大きく貢献した4人の像が建てられることになる。

黒田清隆とホーレス=ケプロンの像は大通公園の10丁目に、岩村通俊の像は円山公園に、永山武四郎の像が旭川の常盤公園に建てられている。

北海道大博覧会が開催される。

未来の大通公園

2040年ごろの大通公園

コタケ作/2040年頃の大通公園

地球温暖化に伴い、街の緑化計画も進み、ビルの屋上緑化への関心も高まる。 ビルの屋上緑化が進むにつれ、大通公園付近のビルは徐々に大通公園と同化し始め、 なだらかな傾斜に芝生を植え、ビル屋上の緑地へ登れるようになる。 ビルの緑地にはレストランや飲食店が木々の間にテーブルを並べ、気持ちのよいオープンテラスに人が集まる。

未来の大通公園は人にも地球にも優しい場所になるだろう。 これまでも、人に憩いの場を提供してきた大通公園は成長し続け札幌の街全てを緑で覆い尽くしてしまうかもしれない。

※『2040年ごろの大通公園』は勝手な想像です。街づくり計画とは無関係ですが、夢のある話だと思いません?

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